レポートNo34 2011.11.22  <倉林 勝>

韓国旅行

紀元前に成立した高句麗から、統一新羅、高麗、李氏朝鮮と永い歴史を誇る韓国は日本とも古くから深い関係である。仏教文化を含めた文化伝来もあれば、元・高麗による文永、弘安の役もあり、秀吉の朝鮮征伐、日韓併合もあれば朝鮮戦争もある。まさに一衣帯水の関係が今日まで続いている。

 

アジア通貨危機でIMFの支援を受けたが、漢江の軌跡を生んで、今日では日本を脅かすまでに成長した。仁川国際空港、高速鉄道、それに釜山港のハブ化を国家三大事業と位置付け、釜山新港に力を入れる。FTZとして日本の各港、アジア、アメリカに向けてのハブ化を積極的に進める。韓国恐るべしである。


①国立博物館から歴史を学ぶ

政治家の訪韓、韓国経済、FTA、韓流ドラマ、Kポップスなど韓国に関するニュースや文化、音楽が日常的に日本国内に流れ、ソウルに向かう飛行機は若い女性や中年婦人で満杯の様子だ。

しかし個人的にはさほどの興味もなく、訪韓する機会もないまま今日まで過ごしてきたが、歴史的な円高ウォン安の中で初めてソウルを訪問した。(10月21日~24日)

明洞の繁華街、三清洞の古い住宅街、国立中央博物館での韓国歴史散歩、おいしい食事と「かなりはまった」旅行となった。

 

紀元前に南満州・北朝鮮に高句麗が成立し、4世紀半ばになると南西部に百済、東南部に新羅が興る。

7世紀に入り百済・高句麗が唐・新羅に滅ぼされ676年に新羅が半島を統一する。渤海との南北朝時代をへて、936年には高麗が半島を統一したが元(モンゴル)や明に服属した。

1392年に李氏朝鮮が成立し1910年の日韓併合まで続き、1948年に大韓民国が誕生する。

 

百済・新羅の成立時期は日本に大和政権が成立した時期で、369年に日本は朝鮮半島南部の任那(みまな)を支配するが、562年に新羅に滅ぼされる。

6世紀の中頃、飛鳥の時代には百済から仏教が伝来し、663年の白村江の戦いでは日本が百済援助に出兵するが新羅に敗れ統一新羅が誕生する。

新羅の後、半島を統一する高麗はモンゴル(元)に服属し、日本の鎌倉時代である1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)に2度にわたる日本遠征が行われる。

李氏朝鮮が成立した後は逆に秀吉の時代1592年(文録の役)、1597年(慶長の役)に日本が朝鮮に出兵した。(資料 新世界史図説)

日本、韓国の関係が、正に一衣帯水の関係にあることが理解できる。

 

このような時代を国立中央博物館で見ることができた。

博物館は国民に歴史を教えるために無料で開放され、案内には英語や日本語、中国語の説明もあり、日本語での音声サービスも無料である。休日のせいか子供連れが多く訪れ、子供達はカメラやスマートフォンで画像を取り込んでいる。フラッシュを使用しなければ写真撮影も問題なく、開放的である。

建物も大きく現代的で2棟3層の立派なものであった。

書・絵画・仏教仏像・青磁・白磁・金属工芸なども大きなコーナーで展示されるが、次回の楽しみに今回は見送った。

2棟のビルの間には大きな空間があって、山頂のNソウルタワーが一望できる。山頂からの気が博物館を通り、博物館前の池に向かうように風水が利用されている。

 

②仁川から朝鮮戦争を思う

仁川国際空港から市内に入るが、車窓からは見える景色は干満の差が大きな干潟だ。仁川は朝鮮戦争でマッカーサーの上陸地だが、上陸に際して旧日本軍の情報を活用したといわれる。日本軍部の海の深さ、満潮時、航路などの情報がなければ上陸は出来なかったであろう。

李氏朝鮮は1392年(室町時代)から1910年(明治43年・日韓併合)まで続き、太平洋戦争での日本敗戦後は北緯38度以北にソ連軍が進駐し、南半分は連合国軍(主にアメリカ)の軍政下に入り、南北二つの体制に移行した。

1948年に南単独の総選挙が実施され、李承晩を初代大統領とする大韓民国が樹立し、同時に金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国も樹立した。

李承晩は1952年に李承晩ラインを宣言し、対馬、竹島の領有を宣言し、1953年竹島を占領した。

日本は李承晩政権時代には国交断絶状態であったが、1965年に日韓基本条約が締結された。条約には日本が朝鮮に投資した資本、日本人の個別財産の全てを放棄し、約11億ドルの無償資金と借款を援助することで、両国間の国及び国民間の請求権に関する問題が解決されたと確認された。

 

1950年6月25日北朝鮮の精鋭7個師団が韓国の国境を突破し朝鮮戦争が勃発し、28日にはソウルが陥落した。韓国政府はソウルを放棄し水原に遷都するが、9月には韓国軍・連合国軍が釜山まで追いつめられる。

9月15日にマッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、南北から北朝鮮軍を攻撃し平城まで追いつめるが硬直化し1953年7月に朝鮮休戦協定が調印される。

朝鮮戦争では韓国軍20万人、アメリカ軍14万人、国連軍36万人、一般市民200万人が死傷したといわれ、第二次世界大戦後の最大の戦争となっている。(ベトナム戦争でのアメリカ軍戦死者と行方不明者は約6万人)

朝鮮戦争によって日本は戦時特需がおき、敗戦からの早期復興をとげ、1956年(S31年)の経済白書には「もはや戦後ではない」と記載された。

 

韓国は北朝鮮と国境を接し、現在も休戦中である。北朝鮮の後ろにはロシア(7~10世紀頃は渤海)、黄海を挟んで中国、日本海を挟んで日本と、大陸の半島国家として厳しい条件のなかで歴史を重ねてきた。強い意志がなければ存在できないという条件が今日の強さとなっているのだろう。

現在でも北朝鮮からの脅威と、ソウルが火の海になることを想定している人も多くいるようだ。

 

③韓国経済について聞く

韓国の人口は4800万人(日本の38%)、国土面積は日本の約26%、GDPは日本の約18%、1人当たりGDPは日本の約48%である。

人口4800万人のうちソウル市内に約1000万人、仁川などのソウル周辺部を含めると2000万人強が生活し、人口の半分近くがソウルに集中している。

韓国経済は朝鮮戦争などで大きく立ち遅れていたが、日韓基本条約を締結し、補償金や経済・技術援助を契機として高度成長を遂げ漢江の奇跡と呼ばれた。順調に発展を続けた韓国経済だが1997年のアジア通貨危機に直面し大量倒産や大量失業が発生した。

金大中大統領はIMFの支援と経済政策を受け入れ、財閥の統合や企業の統合などを進め、国内の過剰競争から海外へ市場を求めるようになった。

この危機に対し、韓国国民は金や宝石などの供出を行い、国家の危機を助けた。ユーロ危機でのギリシャ、イタリアのように既得権益を守るためにデモを行う国民との違いを強く感じる。

 

現在はウォン安を武器に輸出攻勢をかけ、自動車、半導体、電子部品・家電・携帯電話などの情報機器、製鉄、造船などで日本と競いあっている。

韓国はEU、ASEAN、インドなどとEPA/FTAを結びアメリカを含めると貿易総額の36%が自由貿易関係となる。(日本は17%)

10月中旬にアメリカはブッシュ大統領が署名した米韓FTA協定を4年掛かりで批准手続きを完了し、後は韓国の批准手続きを待つだけとなった。しかし、日本のTPP問題と同様に韓国農業関係者を中心とした反発は根強く、野党は強く反発をしている。

来年は4月の総選挙、12月の大統領選挙が行われるが、それらの帰趨を占うソウル市長選挙が10月26日に行われた。選挙活度を見ることはなかったが、時折大きな歓声が上がり、通りに大型バス同様の警察車両が数十台並ぶのを見た。選挙のためか、FTA反対デモのためか不明であるが多くの警官をみた。

ソウル市長選は与党ハンナラ党が野党統一候補の朴(パク)氏に敗北した。

高い失業率、貧富の格差、不動産不況などを抱え、与野党ともに「左派シフト」を加速させ不満をもつ庶民の支持を集めようとしている。

このような状況のなかで米韓FTA協定が韓国で批准されるかは微妙な問題となった。

 

一夕、日本の大手倉庫・物流企業の韓国本社を訪問した。

韓国の国策として開発を進める釜山港のハブ化の説明などを受ける。

仁川国際空港、韓国高速鉄道と合わせて国家三大事業の一つとして釜山港のハブ化があり、新たに釜山新港の建設を急ぎ2015年までに計画の30バース(船席)を40バースに拡大変更を決定したとのことである。

釜山新港はFTZ(自由貿易地域)とし、関税法、対外貿易法などに対する特例支援を通して、自由に物流、製造、流通、貿易活動が保障される地域としての発展を計画している。

この新港を日本の各港と共アジア、北米にむけたハブ港とし、韓国の更なる発展を計画している。

1980年のコンテナ貨物扱い量はニューヨーク、ロッテルダム、香港、神戸、高雄と続き釜山は16位であったが、2010年には上海、シンガポール、香港、深圳に続き釜山が5位となり、東京27位、横浜36位、神戸46位を大きく逆転した。

韓国の成長をマザマザと感じさせる。

日本企業の韓国進出が話題になるが、米韓FTAの批准に絡めてだけでなく、釜山港の役割も大きなものと思われる。

 

経済発展の中に問題点も多くあり、失業率は5%といわれているが、実態はもっと高いとの意見であった。米韓FTA批准も難しいとの印象を感じた。

アジア通貨危機で韓国経済がIMFの管理下に置かれた金大中政権時代に、政府は金融政策、消費向上のためにクレジットカードを大量発行し、現在では中学生でもカードを持つカード社会となり、カードの使用できない店は法律で罰せられるようだ。これは脱税防止の役割も果たすが、カード破産者の増大にもつながり社会問題になっているとの意見であった。

不動産神話も崩壊の危機にあるようで、表面とは違う韓国もあるようだ。

 

訪問した企業の幹部も全員が兵役の義務を果たしている。おとなしそうな人物(幹部の一人)も実は海兵隊で最前線にいたなどの話を聞くと、妙に肝が据わっているように思われた。

社長の家族は全員アメリカで生活を送り、逆単身赴任の生活を送っている。上層階級では普通のようでもある。

子供の頃から激しい競争を重ねる社会に弊害も多いようだが、大学入試も、あるいは日本で活躍のKポップ、韓流スター、ゴルファーも熾烈な競争での一部の成功者である。

このような子育てには①母親の情報力(どこで何をさせるかなど)、②祖父母の財力、③父親の無関心(稼ぐだけ)の3要素が必要なのだという。日本との違いは別にして、子供が少し可哀想にも感じる。

 

④ソウルの街

大都市の中心にこれだけの大河があるのは、他に例を見ないのではないだろうか。

片側4車線の広い道路が走り、朝夕のラッシュは大変である。事があった場合には滑走路に変わるといわれるが、可能であろう。車は現代、キアなどの韓国車が中心で日本車を見ることはない。ごくまれに米国車を見かける程度だ。

 

ソウルの地下鉄は十数本あって、東京並みであるが運賃は安く大方の区域で1回1000ウォン(約70円)である。どこに行くにも便利で安心な乗り物である。購入時には500ウォンのデポジットを入れて、1500ウォンで購入し、改札を出ると切符を返却し500ウォンを返してもらう。切符を大切にして何回も再利用する。良いアイデアだ。ハングルは読めないが英語表記と路線No,駅Noで目的地には行きやすい。

 

<明洞>

南大門市場、新世界百貨店、ロッテ百貨店横の繁華街がソウル一番の繁華街である明洞であるが、洗練された街ではなく、賑やかではあるが、ゴミゴミとの印象だ。日本、中国からの観光客も多く、ロッテデパートには中国人を対象にしたコンシェルジュもいる。

 

H&MやZARAなどの店もあるが、とにかく半分は化粧品店との印象だ。カタツムリの成分を入れたクリームが人気なようでどの店も多くの人であふれる。明洞の地下街にはメガネ屋だけで50店ほど集まっている場所があるが、同業がこれだけ集積する街は他国で見たことがない。また、同じ化粧品店が20メートル程度離れて、何店もある。これも他で見られない光景だ。

小さな街に、1日150万人が行きかうという、活気に溢れた街だ。

 

仁寺洞は明洞と違い、アートの街である。書画、骨董、陶磁器、伝統工芸、ギャラリーなどが集まり魅力ある町だが、人出が多すぎゆっくりとできない。

露地の奥には洒落た昔風の飲食店などがあって、多くの観光客が来ている。

陶磁器の店には青磁の茶道具や壺、皿などが売られ、価格もリーズナブルである。土産に青磁の茶碗を購入するが、伝統的な絵柄なのであろう。同一のデザインのものが国立中央博物館でも売られているが名が入っているだけで10万ウォン(7000円)ほど高い。

仁寺洞には伝統的な韓国刺繍、ポシャギ(麻布のパッチワーク)の店が数店あり、なかなかの賑わいである。家具の引出部分に刺繍の布を施したものやテーブルクロス、小物などが多く並ぶ。お土産だけでなく、生活の一部として使用されているようだ。

<三清洞>

李朝の貴族が暮らしていた街が保存され、現在も家屋に人が住んでいる。

小高い丘陵に街が形成され、道は坂が多く細く入り組んでいる。現在もここで住んでいるが、環境は良いが大変だろう。伝統的な韓国式家屋は瓦を使用し、壁も立派だ。門扉にある飾りも手の込んだものが多く、贅をつくした感がする。しゃれたカフェやレストラン、小さな博物館や、ソウル図書館などもあり文化的なイメージである。ここでは映画の撮影も多くあるようで、やはり観光客が多い。なにか昔が偲ばれる感がする。

 

ソウルは李氏朝鮮の都として作られただけに歴史的建造物も多い。

李氏朝鮮の成立時は日本の室町時代に当たり、ソウルには当時の宮殿などが現在にも残こり、京都と同じように都市の中で生きづいている。韓流ドラマにはさほど興味はないが、個人的に少しハマリそうだ。

 

 

初めて韓国を訪問したが、街や人々の活気を感じる。

デパートも繁華街も郊外のショッピングセンターも人であふれる。郊外のアイパークモールには新世界が経営するEマートが地下2フロアに入り、多くの人でにぎわい食品売場も充実して、価格も安い。日本のようにVP陳列などはないが、EDLPを追求し、アメリカ的なフロアだ。専門店ビルには大型のユニクロが入り、価格は日本とほぼ同じであるが、客はまばらであった。

 

韓国はインターネットの普及率が高く、地方都市などでの出店規制などもあって、インターネット通販やオークションも活発らしい。

個人的に驚いたのはホテルのバールームでの演奏はピアノの上のパソコン、歌手の楽譜台に変わるパソコンに演奏の楽譜がデジタルで表示されていたことだ。リクエストに応じて、サーバーから楽譜を取り出しパソコンの画面を見て演奏する。妙に感心した。


以上