レポートNo01 2010.9.15  <倉林 勝>

日本には40年周期がある。

半藤一利の「昭和史」や水木楊の「2025年日本の死」などに40年周期が描かれている。

外国船打払い令から徳川崩壊に至る40年()、明治維新から日露戦争勝利までの40年()、明治の末期から大正、昭和20年へと続く40年()、敗戦から高度成長を謳歌したプラザ合意に至る40年()。

この流れから次の40年、1985年から2025年までの道のりはバブル崩壊から失われた40年になりそうだ()。

今、日・米・欧の先進国は次なる厄災に向かっているようだ。

特に日本は政治が機能麻痺を続け、衰退に向かっているようだが・・・・

 


 

(A)秋に思う 

秋刀魚を食す時期に思い出す「さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて さんまを食ふはその男のふる里のならいなり」は佐藤春夫の秋刀魚の詩だ。

 

あわれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ

男ありて 今日の夕餉に ひとり

さんまを食らいて 思いにふける と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       (秋刀魚の歌の一部)

妻と離婚した佐藤春夫が秋刀魚を食しながら、友人の谷崎潤一郎の心が離れていく谷崎の妻と子供に思いをよせ、せつない思いを詩にしたものだ。男のさみしさと慈しみの心を感じる。

しかし、今年の秋は感傷に浸るような気分とは程遠い。

 

猛暑続きのこの夏の勢いは9月に入っても衰えを見せず、5日には京都・京田辺市において9月としての国内最高気温39.9℃が観測された。

一日の最高気温が25℃以上の日を夏日、30℃以上の日を真夏日としているが、1990年代以降35℃を超える日が増加し気象庁は2007年4月から35℃を超える日を猛暑日と呼ぶようになった。

猛暑日を使用するようになってからわずか3年、いずれ38℃か40℃以上には炎暑日とか獄暑日などという恐ろしい名称がつくであろう。

天候と同じように日本周辺の海水温も25℃を超える異常事態が続き、農産物同様に水産物にも大きな影響を及ぼし秋刀魚の不魚などが伝えられる。

 

暑い日本列島であるが、政治や経済、社会は逆に冷たい風が吹き荒れている。

政権与党である民主党のゴタゴタとした動き、デフレ・円高・株安で縮む経済、不明高齢者からの不正年金受領問題など、そこに大雨やゲリラ豪雨などの自然災害が加わり、日本という国が溶けていくようだ。

 

日本には40年周期というもがあるようだ。半藤一利の「昭和史」や水木楊の「2025年日本の死」などを読むと40年周期が描かれている。

1820年頃から日本近海に英国やロシアの船が出没し1825年に外国船打払令が出される。その頃から徳川幕府の低迷が始まり、1853年ペリーの浦賀での開国要求がおこり、打払令からおよそ40年後の1867年に大政奉還、翌1868年明治維新となる徳川崩壊への40年であった。

 

大政奉還、明治維新から富国強兵政策、殖産興業政策で力をつけ、1894年日清戦争、1904年日露戦争、翌1905年の日本海大会戦での勝利とポーツマス条約の調印までのおよそ40年は日本の近代化、坂の上の雲をめざしていった時代だ。

 

1905年の明治38年から大正、昭和と続く40年は坂道を転がり落ちる時代だ。

佐藤春夫の秋刀魚の歌は大正11年の作で、ちょうど大正デモクラシーや大正ロマンと呼ばれる踊り場の時代の最後頃の作品である。翌大正12年(1923年)には関東大震災が起こり、昭和金融恐慌(S2)、世界恐慌(S4)、満州事変(S6)、二・二六事件(S11)、そして日米開戦(S16)と続き、1945年(S20)にポツダム宣言を受託した暗い時代であった。

 

1945年の終戦の廃墟から1985年のプラザ合意までの40年は驚異の成長を遂げた時代だ。

1956年(S31)の経済白書の結びには「もはや戦後ではない」と記され、1960年(S35)の日米安保条約調印後に岸首相から変わった池田首相は「所得倍増」を訴え、1964年(S39)東京オリンピック、

1970年(S45)大阪万国博と続き、高度成長を謳歌した。1979年(S54)年にはエズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出版し、1985年(S60)に日本は世界最大の債権国となった。

 

今まで流れから見ると1985年から2025年までの40年は下り坂の日本となるのだろうか。

1985年世界一の債権国になった日本に対し、アメリカは世界一の債務国となりドル高の是正を図るため、プラザ合意がなされ円高ドル安の流れが定着して行く。合意直後は1ドル235円から20円の円高となったが、1年後には150円台となった。

この円高不況に対し日銀は5回にわたり公定歩合を引き下げ2.5%の水準を1989年5月まで3年にわたり続け、金融緩和と政府の緊急経済対策などでバブルが発生した、

株価は1989年(H1)12月29日の大納会に3万8915円を記録し、不動産価格上昇で「地上げ」という社会現象を生んだ。

日銀は金融引き締めと公定歩合の引き上げ、政府は土地不動産に対する総量規制などでバブル退治を行い、翌1990年(H2)にバブルは遂に崩壊した。

その後失われた10年、そして20年と今日まで低迷が続いている。

2025年の下り坂の最後には何が待ち受けているのだろうか。

徳川幕府の崩壊や破壊されつくした終戦と同じような景色が待ち受けているのだろうか。

 

高成長を続ける中国は昨年10月1日に建国60周年を迎えた。

文化大革命などの混乱を経て、1978年に鄧小平による改革開放政策が発表され、1980年に深圳などに経済特区が設置された。その後1989年に天安門事件がおきたが、成長の勢いは衰えず北京オリンピックを経て上海万博の今年は、経済成長の始まりとなる1980年から30年が経つ。

日本と同じ動きをすれば1980年から40年後、今から10年後の2020年にピークを打って、低迷の時を迎えるかも知れない。

 


(B)2025年の日本 

1985年のピークを迎える少し前の1973年(S48)はオイルショックに翻弄された年だが、その年に小松左京は「日本沈没」を発表した。

「日本沈没」は地殻変動により巨大地震が発生し、日本列島が海に沈み国土そのものが無くなる話だがピーク後の日本を暗示しているようだ。

 

バブル崩壊後の1994年(H6)に日経新聞の取締役論説主幹(当時)である水木楊が「2025年日本の死」を発表した。

バブル崩壊後の1994年に「あと30年で日本という国家は消滅する」という強烈なメッセージを近未来シミュレーションとして発表した。

日本人を父親に持つアオキ・J・ソノドム教授が2030年8月にモンゴル国立大学の夏季集中講座「近代日本史」の講義を通じて日本の衰退を語るものである。

狂騒の時代、閉塞の時代、衝撃の時代を経て崩壊の時代に入り、日本という国家が崩れ212の共和国に分かれていく様を描いている。

憲法改正、日米安保条約失効、クーデター、北海道の核施設へ中国のミサイル命中、左翼政権成立、新幹線鉄橋落下事故、1ドル540円まで下落、そして沖縄が琉球共和国として独立など、今読み直してみても肌寒くなる。

この小説の根幹をなすものは「なにも決めない・なのもしない日本はやがて衰退する」ということを伝えることだ。

国家としての選択肢が、シナリオA・・・江戸時代に戻る、シナリオB・・・国際化された、ヒューマニズム国家として生きる、シナリオC・・・主権を大切にした、マキャベリズム国家、シナリオD・・・無策とあって、結局はシナリオDを選んでしまう。

シナリオDは、なんでもあり、なんでもないという最悪の状態。論理性が欠如し、戦略が無い状態。戦略がないから、戦術もなく、論理性もないから、他の国に自国の行く道を説明できない「顔のない日本」である。

今日、2010年9月がこのような状況にも思える。

 

「日本沈没」のように物理的に日本列島がなくなる話ではない。

アオキ・J・ソノドム教授は2030年8月の講義の前に、父親の故郷である北海道を訪問する。

北海道の美しさ、茫々と広がる草原、海、川など変化に富む風景をモンゴルより美しいと感じる。

そして喫茶店のテラスで街を行きかう人々を眺めながら、思わずため息をつく。

「人々の表情のなんと清々しいことか。少しもとげとげしさがない。質素ではあるが、洗濯したばっかりのようで、しゃきっとした清潔さがある。多くを望まず、その日に満足して暮らしているようだ。人々は分をわきまえて静謐な生活を楽しんでいるようだ。」と感じる。

今、212の共和国の国民は、落ち着いて上品な生活を営むようになった。

これが講義の最終ページだ。

 

この姿が近未来の日本とすれば、先進国の新しい最先端のスマートシティなのかも知れない。

世界が日本人と同じ生活をするためには地球が2個半、アメリカ人と同じ生活をするためには5個半必要だといわれている。先進国は経済を減速させ、生活をスローダウンする必要に迫られている。

自然と共生し、エネルギー消費を減らし、CO2を削減するスローライフが大きな流れになるようにも思われる。

少なくとも、電車の中でゲームや携帯に夢中になる若者も、はばからず化粧をする女性も減るだろうから、少し貧しくとも落ち行いた世界がうらやむ国になっているのかも知れない。

 

少し前に「ロハスな生活」という大きな流れが喧伝された。

LOHASとはifestyles f ealth nd ustainabilityの頭文字を取った言葉で、「健康と持続可能性を志向するライフスタイル」「健康と環境を志向するライフスタイル」などと言われる。

持続可能性とは限りある資源、自然、農地を消耗することなく、いつまでも人間を含めた多様な生物が生存し、地球環境が維持され続けられるようにすることといわれる。

(資料 The Natural Marketing Institute)

停滞の後の世界はこんな世界かも知れない。

 

明治の終わりから大正、昭和20年へと続く坂道を転がり落ちる時代にも大正デモクラシーとか大正ロマンとかいわれる踊り場があった。

2025年に続く道はダラダラと停滞する、長い踊り場の時代に見える。人口減少と少子高齢化もそのようにさせるのだろう。

モノではなく歴史とか自然、文化、芸術、創造、教養、あるいは健康などが重要な時代となるであろう。

 


(C)現実の世界

リーマン・ブラザーズの破綻から世界は恐慌の入口に立ったが、なんとか踏みとどまっているようだ。しかし、日・米・欧先進国の事態が好転したようにも見受けられない。

 

1929年10月24日の恐慌による株価は翌年の1930年、翌〃年の1931年には若干の持ち直しを見せるが、3年半後の1932年7月8日に最安値を付ける。恐慌前の1929年9月3日に付けた、その年の最高値452ドルのおよそ15%の58ドルをつけて恐慌相場に終わりを告げることになった。

つまり、危機から3年半を要したことになる。リーマンショックから2年目の今は、踊り場にいるようだ。

1933年に就任したF・ルーズベルト大統領は公共工事などによる需要創造、各種法律による市民の生活や権利の保護などで、景気や株価の破局を止め、回復に転じさせることとなった。1937年3月には株価が最安値のほぼ3.5倍の194ドルを付ける。

経済回復を見てルーズベルト大統領は、今でいう出口戦略である財政健全化を進めるために1937年に財政支出大幅削減の緊縮予算を作成したが、結果的に「ルーズベルト不況」をまねき成長率は△3.4%低下し、株価も98ドルと低下した。

第二次世界大戦がはじまり景気回復につながるが、ルーズベルトの緊縮政策は「早すぎた緊縮財政は新たな危機を招く」と今日言われている。(J・K・ガルブレイス「大暴落1929」他による)

 

住宅バブルの崩壊や金融危機の到来を予測したニューヨーク大学ノリエル・ルービニ教授は2010年5月の日経ビジネスへ誌への寄稿で次のように語る。

大不況が第二の大恐慌になるのを食い止めるために、政府は民間損失の引き受けや救済措置を講じ、財政赤字や政府債務残高を危険なほど膨らませた。景気刺激策や救済策が必要だったかも知れないが、事態の進展は明快だ。最初は民間企業の救済、そして今、その救済者(=政府)の救済が始まった。

巨大な赤字や債務はいずれ、増税や歳出削減によって圧縮する必要がある。緊縮財政は、短期的に景気回復の足を引っ張る。歳出削減や歳入増で財政不均衡が解消されなければ、残された道は二つしかない。

自国通貨建てで債権発行をし、貨幣を増刷することで財政赤字の穴埋めできる国がたどる道はインフレだ。

一方、債権を外貨建てで発行し、つまり海外から借り入れせざるを得ない国はデフォルト(債務不履行)だ。

今、日・米・欧の先進国は「ルーズベルト不況」か「インフレ」か「デフォルト」かの壮大な実験をしているように見受けられる。あるいはデフレ下の長期停滞が待っているのかも知れない。

 

ギリシャに端を発するEU諸国はソブリン債危機から脱するために、財政赤字削減のための緊縮財政策を打ち出す。

EU諸国は91の銀行についてストレステストを行い、数行を除いて問題なしと判定したが、ギリシャなどの国債を満期までの保有を前提とした場合はこの国債の査定をせず、売買目的で保有する国債のみを査定の対象としため、金融不安はいつまでも続いている。

ギリシャもアイルランドも財政赤字削減に取り組むが、経済は悪化し対GDP比債務は減らず、デフォルトの危機もささやかれる。フランスはこの2国だけでも1300億14兆3000億円)、ドイツは2300億25兆3000億円)の投資残高を持っている。万一の事がおきればEU金融機関の信頼は煙のように消えるであろう。

ドイツを含むEU各国は公務員の削減、公務員の給与や賞与の削減、社会保障費の削減など緊縮政策を取りついに国防費の削減も始まった。

統一通貨ユーロは政治的統一のない中で、共通の財政政策がないという矛盾をかかえてさまよっている。ユーロ崩壊がささやかれる中、緊縮財政でEU諸国は「ルーズベルト不況」の道を歩み、ユーロ安政策を変えることはなさそうだ。

 

アメリカは自国通貨ドルでの米国債を発行し、2010年2月の累積対外債務はGDPの約96%、13兆6700億ドル(約1250兆円)となっている。アメリカ連邦債務残高はGDP比62%となり、第二次世界大戦直後以来の高水準となり、債務の抑制が無ければ2035年には185%まで上昇すると見られている。2010年度は1兆4700億ドル、2011年度も1兆4100億ドルの財政赤字の見込みだ。

アメリカの4月~6月の年率実質成長率は速報値2.4%から1.6%に下方修正され「二番底リスク」がささやかれている。

失業率の高止まり、住宅減税の終了などから7月の中古住宅販売は1999年以降の最低を記録し、新築販売も過去最低水準となった。長期失業者の増加から、ローンの焦げ付きなどで住宅差し押さえ件数は7月だけで9万3000件となった。また、住宅価格下落から持家の担保割れで売却もできず返済にいきづまるケースも増加している。

アメリカ地方銀行は商業不動産の下落や中小企業の業績不振などが影響し、6月までに昨年の45行を超える86行が破綻し、7月末には103件と増加した。AIGもファニーメイも大きな赤字を続け、ファニーメイは財務省に15億ドルの追加融資を求めている。

80年ぶりの金融規制法案は大手銀行の資金仲介機能を低下させ、金融市場の縮小を招く可能性も高く、大きな減益の可能性もある。

国家の利益を金融に頼っていたアメリカは輸出拡大政策をとり、5年で2倍を目指すと発表する。ドル安政策を改める気配は見えない。

FRBバーナンキ議長は「米景気は脆弱な状態」にあり、「さらに行動が必要と判断されれば景気刺激策の手段はある」と発表し、更なる金融緩和を視野に入れている。

リーマンショック以降、それまでの数倍ものドルが市中に流れ込み、行き場を見失ったドルが「日本円」などに向かい、円高は加速している。

オバマ大統領は9月には3500億ドル(35兆円)規模の景気対策を発表し、バーナンキFRB議長もさらなる金融緩和を打ち出す。

財政赤字を拡大させ、大量に自国通貨ドルを印刷するアメリカは「インフレ」に向かうのか、それとも「デフォルト」に相当する、ドルの大幅切り下げに進むのだろうか。あるいは長期デフレの日本型不況を経験するのであろうか。

いずれアメリカは世界との関わりを整理し、軍事プレゼンスを徐々に減らし、自国の経済力に見合う程度だけを国際社会で果たすようになるのかも知れない。

 

日本は構造的デフレ、円高、株安の中で動きが緩慢なままだ。政府も日銀も「必要な場合には適時適切な対応」を取ると表明するが、いつまでも「必要な場合」がこないままだ。

4~6月のGDPは実質で年換算1.5%増、速報値の0.4%を上回ったが、名目は年換算△2.5%の減少だ。2008年の名目GDPは△2.0%、2009年は△6.1%で3年続いて名目GDP成長率はマイナスの見込だ。

GDP成長率などは物価水準の変動を除いた実質成長率で見るが、名目成長率は生活実感により近い。企業の売上も利益も、それに伴う税収も名目値だ。個人所得も消費も、お小遣いも名目値だ。名目の成長がなければ、税収も減り消費前増税という議論となってしまう。

1995年からGDPデフレーターはマイナスとなり、デフレが続き、名目成長率は3年続きのマイナスだ。GDPのギャップがあると物価は下がり、企業売上、収益が下がり、税収も減り、失業も増加する。

ゆるやかなインフレ(名目2%程度)が日本を救うとの意見も多いが、政府も日銀も動かないままだ。

 

対ドル円相場は8日に83円51銭という15年ぶりの最高値を付けたが「必要な場合」ではなかったようだ。1995年4月19日に付けた最高値79円75銭を超えるまで政府も日銀も「必要な時」を意識することなく、不作為を決め込んで動かない。

円相場は70円、60円、50円台まで上昇すると予測する人たちもいる。

製造業は円高に加え高い法人税などで生産の海外シフトを進め、国内は空洞化し、雇用の減少や賃金の低下を生み、デフレが続く可能性は高い。

 

9月14日の民主党代表選挙において管氏が総裁に選ばれ、第95代の総理大臣になることがほぼ決まった。

総裁・代表の任期は自民党で3年、民主党で2年である。衆議院議員の任期は4年であるから、任期中に必ず総裁・代表選挙があって政治家は常に選挙で縛られ、毎年のように選挙をし政策を実行する時間を失っている。

今回、小沢氏が当選すれば1年間に3人の総理大臣が存在するという異常事態だった。

伊藤博文から始まる総理大臣は終戦前後混乱期の昭和20年に小磯、鈴木、東久邇、幣原と4人変わった。その後1994年(H6)に細川連立政権から自・社・さきがけ政権に移るときに細川、羽田、村山と変わったが、同一政権で1年間に3人という例はなかった。

今回の民主党代表選は前原代表の後を受けた小沢氏が2008年9月に再選され2010年9月までの任期中の出来事だ。2009年5月に西松建設献金疑惑で小沢氏が辞任し、その後鳩山氏が代表となり、2010年6月に鳩山氏と幹事長であった小沢氏が同時に辞任し後を管氏が引き継いだ。小沢氏の2年の任期中に小沢、鳩山、管氏と変わった中で再度小沢氏が立候補するという異常な選挙であった。

民意を受けたサポーター票では圧倒的支持を得た管氏だが、国会議員票はイーブンとなった。

ノーサイドとお互い発言するが、反管陣営が半分いるという現実や衆参ネジレ現象などで政治の混乱や機能麻痺は続くと思われる。

「なにも決めない、なにもしない日本はやがて衰退する」そうならないことを祈るばかりだ。

 

結局は政治の混乱、機能麻痺状況の中で、さらにデフレ、円高、株安という最悪条件の中で、企業も個人も生きて行かなければならない時代だということだ。

今、日・米・欧は1兆ドル(100兆円)を超える需要不足を抱えているといわれ、日本も30兆円を超える構造的なデフレ圧力にさらされている。

日本企業は必然的に国際化を加速させ、特にアジアに向かうことになる。製造業も卸業、小売業、サービス業もアジアを目指している。

円高を奇禍として、体質を強化し、これからの世界に勝ち残れる企業が本当の21世紀の企業となるだろう。

 

以上